防災週間だったのと、この間の地震と、さるねこさんの回想に触発されて。
あの日は、いつものように眠い眼をこすりながらぬくい寝床から飛び出し、暗い中家を出た。もちろん、
当時は台所にテレビなどなく、ラジオもつけていなかった。いつものように、出かけるのが億劫になるような、
体を締め付けられるような寒さに耐えて、バス停までとぼとぼ歩いた。
バスから電車に乗り換えて、またいつものように2時間近い時間をかけて、学校へ。当たり前だけど、スポーツ
新聞はストーブリーグの話題一色。号外なんぞ出ていない。学校も、いつものような喧騒。
ここからがさるねこさんと違うのだけど、誰もその日の早朝、ちょうどぼくが寝ながらパンをかじっていた
時間の地震の話を知らなかったし、していなかった。みんな多かれ少なかれ自分と似たような感じの通学
だったし、また、担任やほかの教師も、特段地震の話などはしていなかったように記憶している。
自分のクラスだけだったのかもしれないが。
ともかく3時過ぎに学校が終わり、下校。またいつものように最寄のターミナルから電車に乗ろうとしたとき、
売店の前を通りかかると、夕刊各紙。
「早朝の神戸で大地震 M7.8」
こんな見出しが躍っている。
…。
でかい地震だなあ。
そう思いながら家路についた。夕刊を買うお金もなかったし、どうせ家に帰れば詳しくわかるだろう、と思った。
正直言って、この時点では人的被害については知らなかったので、「家の中はメチャメチャになるだろうな」とか、
そのぐらいしか中学生の乏しい想像は及ばなかった。
家に着く。
テレビの映像で、横倒しになった高速道路・ビル、ペシャンコになったり火を噴いたりしている家屋、避難所、
あるいは道端で、毛布に包まってガタガタ震える多くの市民、さらに数百人単位で刻々と増えていく死者の数を知り、
初めてことの重大さに驚愕する。
我が家は関西に親戚もゆかりの人物もいないのだけど、とにかく驚天動地、の一言につきた。
その後、覚えていることとしては、生徒会からの義捐金に些少ながら応じたこと、当時聴いていた深夜ラジオで
鈴木杏樹と千秋が泣きながらしゃべっていたこと、デーモン小暮がリスナーから活断層マップを集めていたこと、
ぐらいだろうか。
なんだか、初めて見る「有事」に、なにもなすすべなくぼんやり突っ立ってたような感じでした。
なんだか尻切れトンボ気味で申し訳ないです。
コメント(0)| Track back(0) | 2004-09-08 01:21:35
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