あまり研究対象にされてなかった、影の薄い、「病弱な」「明治帝の皇子」「昭和帝の父君」としてしか
一般的には触れられない大正帝。
大正帝はどういう帝だったのか、に迫った意欲的な書物。
アサピー刊行ですがヘンなイデオロギーには染まってなくて淡々と書かれているのでその辺はご安心を(苦笑)。
一言で言えば、病気を機に「摂政設置」という名の「主君押し込め」に遭ってしまった天皇、であるらしい。
「病弱」「多病」イメージがかなり増幅されて伝わっているが、実際は病気に次々にかかったのは幼少期
だけであり、漢詩・和歌に才を見せ、壮健になった青年期は地理教育・視察という名目で日本各地を回って
庶民と触れ合い、節子妃(貞明皇后)との結婚後は4人の皇子に恵まれ、歌を歌ったり鬼ごっこに興じたり
と子煩悩な一面も見せる(一種の「開かれた皇室」の先取りか)。
そんな気さくな、しきたりに囚われない生活は、反面、明治帝と大正帝を比較し、明治帝のような「強い、
英邁な天皇」イメージを求める元老・重臣たちの不安・反発を招く。それでも、信頼関係のあった大隈重信、
原敬が首相を務めていたときは風当たりはさほどなかったが、ロシア革命・独逸やオーストリアの帝政崩壊と
いう事態を受け、病気を機に、祖父の君主像を受け継ぐ皇太子裕仁親王(のちの昭和帝)への事実上の「譲位」
が図られたのでは、という見方。
なかなか興味深く読めました。
高いので、図書館で読みましたが(苦笑)。
コメント(0)| Track back(0) | 2004-08-02 23:30:20
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たまには書評でも。
日本において法律をかじった人間ならば、彼には必ず何らかの形で触れるはず。
明治維新後、日本に西洋近代法制を敷こうと奮闘し、征韓論、そして佐賀の乱で敗れ斬られた参議・司法卿
江藤新平の物語。
のちの西郷の乱のインパクトのほうがどでかいために、歴史の授業では江藤や前原一誠、神風連などは
十羽一からげに「不平士族の反乱を起こした人物・団体」でひっくるめられておしまいだれど、のちの日本に
大きな影響を残した人物として、江藤はもっと注目されていいんではないでしょうか。
司馬遼太郎は、江藤の幕末維新の活躍、政務・法制整備の過程でのすさまじいまでの理論家ぶりと、その反面
あまりにも迂闊・粗忽とさえいえる無頓着ぶりとを描いて、彼の凄味と哀しみとを浮き彫りにしている。
江藤のラディカルなまでの法制整備の背景には、江藤なりの近代国家日本のイメージ、かれにとっては
「民権」=「国権」というイメージがあった。民主政治・人権思想とナショナリズムは矛盾するどころか、
渾然一体だったわけで。
また、征韓論の政争・蜂起・敗北の過程では、かつがれて敗れる江藤の粗忽さと、彼と同種の政治家でありながら
粗忽のソの字も見せない大久保利通の残忍なまでの完璧さとがくっきりと対比されて、新平何やってんだよ、と
言いたくもなった(苦笑)。
ただ、ちょっと不満だったのは、彼の少年時代など、どうして佐賀藩の中で珍しい勤王派になったのか、
またその理屈屋な性格がどっから来てるのか、また大隈重信や副島種臣とどんな感じの交流があったのか、
あまりにもさらっとした描写でちょっとつかみにくかったような気もしている。
長い・分厚いです。
コメント(0)| Track back(0) | 2004-08-02 22:54:52
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